仕事とわたし

物心ついた時から、私はアナウンサーになりたかった。

幼少期にお天気お姉さんに憧れ(離れて住む祖父に毎日顔を見てもらえる、という理由だったと思う)、その後ドラマの影響で弁護士と看護師に憧れ、おそらく中学時代からだろうか、アナウンサーという仕事に憧れた。
アナウンサーになるためには4年生大学を卒業しなくてはいけないらしい、ということを知った中学3年生の私は、自由な校風と楽しそうな文化祭をウリにしたそこそこの進学校へと志望校を決めた。ずーっとD判定だったけれど、最後にはぐぐんと成績を伸ばして、無事入学。入学式翌日に行われた実力テストでは下から10番以内くらいだったと思う、滑り込みすぎでしょ、と笑った。

そのあと、アナウンサーになるためにはそこそこ頭の良い4年生大学を卒業しなくてはいけないらしい、ということを知って、国公立大学関関同立を目指すことになるのだけれど、あっさりとそれらの学校の不合格通知をもらい、1年浪人。色々あったけれど浪人生活は楽しかったし、なんとかアナウンサーになることができそうな大学に無事入学。入試結果を開示したら、公民が学部1位の成績で、英語が学部最下位の点数だったことは一生忘れないだろう。私の人生ってこんな感じ。

京都でアナウンススクールに通い、3年生の夏には3日間のレッスンを東京で受けた。知らないことがいっぱいで楽しかった。でも今と変わらずぽちゃぽちゃしていたし、アナウンス技術も対して高くないし、頭の回転も別に早くなかった私は、たくさんの書類選考に落ち、いくつかの面接を受け、最後のNHKの契約を受けるほどの気力は残っていなくて、一般企業に総合職として入社した。

私を求めてくれている会社だ、と思って入社して、先輩や支店長の支えもあり、営業成績はべらぼうによかった。よかったが故に疑問を抱いた私は転職を急いだ。

2年目の冬、私はライターになった。
マスコミへの憧れを捨てきれず、人の話を聞いてそれを咀嚼して人々に伝える「ライター」という仕事は「アナウンサー」ととっても似ていると思ったし、文章を書くのは好きだった。あとアイドルが大好きだった。そして、大人になって、ちょっぴり「本番」が苦手だった私にとって、原稿は何度も推敲できることが魅力的に感じた。世に出る前に上司や先輩の目に触れて、かつ手が入ることもあることの安心感を感じた。

そして3年間働き続け、インタビューは好きだけど得意とは言い切れないし、原稿も一人で完璧に書くことはままならないけれど、一人でアポを入れ取材をし、原稿を書くようになった。直される回数もだいぶ減ってきた。後輩指導はまだまだ苦手。

そんな私は今月から人前に立って話す仕事をする。アナウンサー的な仕事や、ゆくゆくはMCなどを頼まれることもあるのだろう。びっくりした。10年前、憧れていたことを仕事にし、お金をもらうことになるなんて思っていなかった。
上司がインタビューする「17歳だけど芸能界に入って5年目です」というアイドルに対して「先輩だ…」と思いながら(もちろん口には出さないけれど)話を聞くことになろうとは。びっくり。

足りないところばかりで、もう28歳にもなるのに「特技は?」と言われても「うーん」と考え込んでしまったりすることもある。今まで散々10以上年下の女の子に「特技は? 今できる?」と聞いてきたりしたのに…ごめんね。結構難しいね。それ。

いつまでその仕事をするかわからないし、お昼はライターだったり、たぶんゆくゆくはOL的な仕事とかに転職をするつもりなのだけど、収入の一つとして「人前で話すこと」が増えるのは私にって大革命。

これからがわからない不安もたくさんあるのだけど、わくわくしながら楽しでいこう(╹◡╹)